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2016-01-23

#blog 換気扇のゆくえ

『nice things.』という全国誌にちょこっとだけ掲載していただきました。
ありがとうございます!

今回の取材では、自分自身のことについてもいろいろ尋ねられたので、単なる“店”という伝え方だけじゃなく、店主の多様で複雑な空間への想いを汲み取っていただいて、とても感謝しています。もっと展示なんかの企画をしていく店だってことに触れて書いて欲しかったなーー、ということはあるけれど、限られた文章のなかでざっくりと随所随所を抜き出して書いてくださり、大変だったかと思いますがありがとうございました!

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いろんな経緯や思いを話したなかで、客観的に他者から選び取られた言葉と、自分の思いに多少の差が出てくるのは、やはり客観的に見てまだまだ店づくりがそこに追いついていないのだろうと思う。

「こういう店だと思われたい」という思いがやっぱり少なからずわたしにもある。自分でも今の店づくりは“途中経過”だと思っているけれど、これからも様々な企画を重ねていって、そういう店だと思われるようにがんばっていかなくては。

それにしても。

気になったのは、消された換気扇のことだ。uta no taneの店内の壁には使われていない換気扇がそのままになっている。工業萌えにはほど遠い、まったく家庭的な換気扇だ。正直、自分でも写真を撮ってて邪魔だと思うし、恥ずかしいと思ったこともある。隠そうかとか、改装しようかとか、今も度々考えている。だけど、その換気扇の隙き間からは外壁をつたって伸びてきた草がひょろりと顔を覗かせていて、そんなところがちょっとかわいくも思えてきていたところ。健気な様子に「まあ、それも有りか」と思ったりしている。その写るはずの換気扇が店内写真からこそっと消えていた。女優のシワを消すようにこっそりと。

憧れられるべきオシャレな店がずらりと並ぶなかに、換気扇のある姿は似つかわしくないとの判断だろう。ちなみにエアコンも消えていた。生活感の排除。きっとわたしが編集者でもそうした気がする。写真の雰囲気は雑誌の雰囲気につながるのだから、その判断に抗いたいわけではない。

ただ、これでわたしは堂々とuta no taneの換気扇を愛そうと思ったのだ。

換気扇はまさにシワのよう。隠したくても消したくてもuta no taneの店内に居座ってしまった、恥ずかしいけれどわたしのもの。そんな姿がちょっと適当で雑なわたしにちょうどいい。愛そうじゃないか!

わたしは完璧ではないし、uta no taneも完璧ではない。完璧なオシャレな空間を目指しているわけではない。目指すのはできるだけ敷居の低いギャラリーだ。子どもからおじいちゃんおばあちゃんまで、高校生や大学生にも、いろんな方にアートやものづくりに触れて楽しんでもらえる空間だ。完璧な存在として憧れられなくてもいいから、誰でもが入りやすく、でもほんのちょっとだけ遠くにいて、すぐに手を伸ばせるような距離にいる、そして、来るのが楽しくなるような。そんな場所になっていきたいのだ。

壁の、どうしても写真に映り込んでしまう、ひょっこり草が生えた換気扇を見るたびに、わたしは今日のこの思いを思い出そうと思う。

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そんなこと言ってて、そのうち改装して換気扇が無くなった!ってことになってたりするかもしれないけれど。

 

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